「先生、うちの子、本当に本を読まないんです。」
とよく、お母さんに言われました。
「お母さんは読んでらっしゃいますか?」
とたずねると、この話はだいたいここでおしまいになります。
さて、本を読むという習慣は今の子どもたちには難しくなってきました。テレビもコンピューターもある時代に、本から情報を集めるということは果たして有効なのだろうかという気がしなくもありませんが、しかし、国語力という意味では読書は大事な要素です。やはり本を読んでくれるにこしたことはありません。
受験的にいうと、国語力には3つの力があります。1つ目は読む力、2つ目は考える力、3つ目は書く力です。この3つが伴って成長しないと国語力は身につきません。だから本をよく読む子どもが国語ができるとは限らないのです。ただ読むだけではだめなのです。でも小さいころから本を読む習慣をつけておくことは大切です。これは小学校の高学年になるとなかなか変わりません。(でも、中学生や高校生になって目覚める子どももいますから、あきらめることでもありませんが。)こればかりは小さいうちに親が努力すると、ほとんどといっていいほど子供は本を読むようになります。
読書は習慣です。ですから、そういう環境に置けばよいのです。私がお勧めしていたのは、とにかく図書館に通うことでした。最近の図書館は子どもの本にずいぶん力をいれてくれています。家の近くの図書館も子どもの本がたくさんおいてあります。週に1度はそこに子どもをつれていって、しばらく置いておきます。すると本を選ぶしかありませんから、いろいろ本を探します。
このとき、「これはいけない。」「あれにしなさい。」ということは一切口にしてはいけません。やがて子どもたちは何冊か選ぶでしょう。親も何冊か自分の好きな本を選んで帰ってきます。そしてあとは、食堂で好き勝手に読むのです。そして感想文なんて面倒なので、「どうだった?」とたずねて、子どもの話を聞いてあげてください。お母さんも自分の読んだ本の話をしてあげてほしいのです。
こういう努力をされたお母さんは、意外に多いのですが、でも失敗されたケースも少なくありません。どうしてうまくいかなかったのかというと、読む本に注文をつけたからです。
たとえば、子供たちが最初に好きになるのは推理小説でしょう。私の子供のころも少年探偵団に始まって、金田一やホームズがヒーローでした。だからよく推理小説を読んでいましたが、だいたいこういうのを母親は好みません。
「推理小説はだめよ。夏目漱石にしなさい。試験にでるから。」
トトト・・・・。
これでは子供は読書が習慣になりません。推理小説は決して悪くないのです。良く力は確実につきますし、夢中になって読みますから、あっという間に終わります。そうやっていくうちに、違うものも薦めてみればよいのです。
基本的に、私は子供たちが読みたいものを読めばよいと思っていました。私は子供のころから本が好きでしたが、何かを読めといわれると、あまり読みたくなかった記憶があります。ところが本を買うという話になると、たくさん本を買わなければいけないので、親の方に余裕がなくなります。勢い、
「それは買わない!」
ということになって、子供たちは読みたい本を読めなくなるわけです。読みたい本を読めなければ本を読むことがおもしろくはなくなりますから、読書の習慣もまたつかなくなります。
経済的なことを考えずに、好きな本を読ませるのには図書館を利用するのが一番なのです。私も時々、子供たちをいっしょに図書館に行きますが、入り口まではいっしょ、後は完全に別行動です。私は私で好きな本を選び、子供たちは子供たちで好きな本を選ぶ、2~30分たったら集合で、あとはいっしょに帰ってきて、何を借りたかを話すくらいなのですが、子供たちが借りてきたものに、文句をつけたことは一度もありません。だって自分が選んだ本にいちいち文句いわれたら、腹がたつに決まってます。言われていやなことは、子供にはいいません。
ただ、図書館に行こうと誘うことはよくあります。私の努力はそれだけです。(努力とはいえませんね。私も私でただ図書館に行きたいというだけですから。)でも早くからこういう習慣をつけていると、中学年くらいから、もう勝手に図書館に行ってくれるようになります。
くどいようですが、でも本を読むだけで国語の力はつきません。わが息子はこのように小さいときからずいぶん本を読んでいましたが、国語の点数はぼろぼろでした。本を読むのは好きでも、それだけで国語の点数が良くはなりません。